かわいいみどりちゃん

新緑の山に突如現れる藤の群落が大好きである。
かがみの手づくり市を目指して奥津へ向かう道すがら、度々その景色に出会うことができた。
山のてっぺんから中腹から、噴き出した水が流れ落ちるように、萌え出した若葉の光る緑に淡い紫が、木々にどざーとかぶさっている。
同じ薄い紫の、桐の花を見つけるのも嬉しい。
4月の終わりから5月はじめのこの時期にだけ、桐がそこに在るのがわかる。
若葉の色と薄紫は、わたしの大好きな色の組み合わせのひとつである。

この時期の緑は、すっかり濃くなってどっしりとした緑とは違い、瑞々しくて眩しくて、はじけるように無防備で、両手を広げて駆けてくる小さき人の如き愛おしさがある。(逆に深い緑は、両手を広げて受け止めてくれる大きな人のような安堵感がある。)
そんなことを考えていると、あれ、じゃけん小さな人のことを「みどりご」と言うんだろうか とふと思った。
みどりご。 なんてかわいらしい言葉。

家に帰って辞書を引いたら、嬰児を書いてそう読むのだと知る。
3歳ぐらいまでのこどものことをいうのだそうです。
なんと、イメージぴったり。

 

 

今日の
刺繍

    ボタン      直径約4cm

 



健気というか強靭というかなんかもう凄いなあ

もう1週間以上雨が降らない。
降る予報だった日も何のこたあない大変によく晴れた。
∴水やりに畑へ通う日々。
次々と苗ものを植える時期。周りに水源がないので水溜を作ってはいるのだが、こう雨が降らないと苗にあげる水が無くなってしまう。

さつまいもから茄子からピーマンから芽の出始めた人参から水をやりながら、今日晩何食べようかなあと考えていた。
丁度今の時期は採れる野菜が少なくなる。
さてどうしようか。青い(緑の)物が食べたいな。
木綿豆腐があったかな。玉子もあったな。
ニラ玉豆腐にしよう。
読んで字の如し。ニラと豆腐を炒めて玉子でとじたような食べ物である。
ニラチャンプルーみたいなものか。

青々と茂るニラのそばに座り込み、茎の太いのにハサミを入れる。
さく という音が大変よい。
1本または2・3本切っては左手にまとめていくのだが、その束にしたニラの切り口から、ぽとりぽとりと水のしずくが落ちるではないか。

なんということだ ニラ・・・!

こんなに土はからからになって、水は苗もの優先で、ニラには一滴もあげていないのに、どこから水を吸い上げて、滴る程に溜めているのだ。

感動で震えてしまうではないか・・・
植え替えもせず、さほど手入れもせず。何年も同じところで伸びては刈られ伸びては刈られを続けても、毎年変わらず育ってくれる。
スタミナ食材と言われる所以を、目の当たりにした瞬間であった。
元気にならないわけがないよ。

採りたてのニラを、いつも以上においしく有難くいただきました。

 

踊ろう
マチルダ

小さい頃、なぜだったか何度か祖父に連れられて行った小さな教会が、長いこと閉まっていたのだけれども、少し前からまた開いていて、今度ライブをやるのだよと知り合いの方からお聞きして、ちょっとのぞいてみることにした。
2年程前、教会の近くの旅館でライブをされた時には行けなかったのだが、今回教えてくださった方にCDをお借りして聴いてみたところ、あらっなになに良いではないの と、俄然生で聴きたくなったのである。
踊ろうマチルダさん。
お1人で、踊ろうマチルダというお名前で活動されている。
声が重くて渋い渋い。
当日はギタ−1本またはアコーディオン1台での弾き語りの他、教会にあった古い足踏みオルガンも演奏された。
教会の雰囲気も、会場として好もしく、マチルダさんの演奏とも合っていたように思う。
お借りしたCDの中のわたしの好きな曲も次々歌われ、嬉しくなって歌ってしまう。(迷惑なんだよねーこういう人ねー。ごめんなさいねー)

祖父と一緒に教会に来て、一体何をしたのだったか、何か催しでもあったのだか、建物の中がどうだったのだかなど、不思議な程に全く覚えていないのだけれど、こうして何十年も経って、また教会に来ることになるとはなあ。
家に帰ると、2時間半前にはいつも通り家の前に立っていた3〜4mはある柿の木が根元から折れ、我が家へ向かって倒れているという奇跡のようなことが起こっていたのだがそれはそれとして。
地元の方がこういう機会を作ってくださったというのも、よいことだなあ。

 

お借りしたCD。
ライブ当日購入。
1曲目と4曲目が好きで、耕耘機で畑を耕しながら歌います。

 

 

 


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