雑巾
ブルース

急に姉が実家に来るという。
しかもその電話口で(要るんかなあとは思っていたが)子供達が持って行く雑巾をまた頼まんといけんのんじゃと言う。
この日渡さないと、姪や甥の始業式・入学式に間に合わないので 、大慌てで雑巾を30枚近く縫いあげる。

それにしても、今ってどこもそうなのですか?
上の姪が幼稚園に行き出してから雑巾を請け負っているのだが、なんでも最近は、使っていないタオルを雑巾にしなければいけないというのだ。
今は100円の店でも、10枚近くがセットになった新品の雑巾(どういう表現だこれは)を売っている。
そういうものを調達し、新学期等に子供達は汚れもほつれもない雑巾、いや、縫い合わされたタオルを持って行くのである。

なんだよ それは。
そんなものを、雑巾と呼んでよいものなのか。
雑巾とは本来どういうものか、どういう意味かを考えなくてよいのか。
今や買ったものを持ってくるのが主流で、その新品の雑巾と、本来の姿である雑巾を持ってくる子との違いがあるのがいけないというのか?
わからんでもない。わからんでもないよ。
しかしそれで本当によいのか?
わざわざ使ってもいないタオルを半分に切り、2つ折にして縫い合わせる意味不明さ。
だったら100円でお買いになればよろしいのでは?てか。
そんなものが教育になるのか。

ああつまらん。非常につまらん。

たまたま数十年蓄積された未使用のタオルがありましたのと、かわいいかわいいかわいいかわいい姪甥のためだからやりますけどもが。
ええ、やりますけどもが!

高濃度の憤りと、姪甥への愛にもみくちゃになりながら、超高速でミシンを踏み続け、折り畳んだきれいなタオルに何十個ものバッテンを縫い付けまくる。
このバッテンがその教育現場に届くことが、最高にささやかなわたしの抗議みたいなものなのかもしらん。

 

まあ、両足筋肉痛になるのがオチですけどもが。

 

 

今日の
刺繍

    ボタン      直径約4cm


 




別れの時

大根が採れはじめた頃からなので、10月終わりぐらいからになろうか。
4月に入って、いよいよ大根もしまいになり、ついにお別れをする決心をした。

おでん。

月に数回、週に何回、そんなどころの話ではない。
今冬季初のおでんを作ってから、途切れることなく毎日おでんを食べたのである。
おでん屋さんよろしく、秘伝のつゆを、基 おでんの素を継ぎ足し継ぎ足し、酒を足したりめんつゆを入れたりと適当なことをしながら、おでんと共に暮らした。
厚揚げにちくわ、さつま揚げにじゃがいも、玉子に母の作ったこんにゃく、自分で作ったいわし団子に焼き豆腐・・・みんなが毎日の食卓を彩り、寒い季節を支えてくれた。
ロールキャベツの具にイカをミンチにして入れたら、種自体もやわらか過ぎたのだが、加えてキャベツがとろけ、鍋の中で散らけてえらいことになったのもいい思い出である。

最後の日、具を全部さらえ、実に半年の日々が煮詰まったともいえるそのつゆを濾した。
このつゆでカレーうどんかそばを作ったら、さぞや旨かろうとほくそ笑んでいる。

 

耳の穴から見える世界は

耳に穴を開けた。

ひと月経つと、撃ち抜かれるようにして両耳に装着されたファーストピアスを外し、手持ちのピアスに付け替えることが許される。
しかしである。
待っていたフリーダムなピアス生活とは、かくも困難極まるものだったのか。

ファーストピアスを初めて見た時、耳たぶを貫く棒の太さに、こんなんひと月も付けとったら、他のフック状のとか細いの付けたらつるっと外れてしまうがん!と心の中で驚嘆していた。

そんな心配は無用どころか、ピアスを他のと付け替えて出掛け、帰ってきてからそれを外して3時間程、風呂から上がって、それでも一応付けとこうかと元のピアスをしようとすると、既に入り口の穴は塞がっていて、耳たぶを下に引っ張りながらやっとのことで突破口を見つけ、尖った先端を慎重に出口方向へゆっくりゆっくり回し入れるのに、開通したのとは違う脇道へ逸れては神経にごあいさつするものだから、その度悲鳴を上げなければならない。
こんな薄い耳たぶのどこに、そんな迷路が在るというのか。
挙句流血する始末。
しかも遂に出口に到達しても、キャッチという後ろの留め具がなかなか棒の先端を捉えてくれない。何度落として大探ししたやら。
ちょっと待ってくれ。ピアスというものはこれ程までに大変なアイテムなのですか。

チャレンジと挫折を繰り返し、へとへとになって両耳装着し終えた時には、20分近くが経過していた。

 

何よりもまず、自分の治癒力に感服する。
酷なことをしていると思うよ。
体にしてみれば、わっ大変です!両耳たぶが重体です!と大騒ぎになって、血小板総動員で懸命に治そうとしているのだから。そりゃ膿みもすらぁな。
そう思うと、罪悪感にへこんでしまう。
と同時に、わたしの体は生きているのだなあ、怪我にだって立ち向かうし、体を元気に保とうと頑張ってくれているのだなあと有難い気持ちになるのであった。

 

サンキューの日に開けたためだろうか。

     

 

 

 


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