かがみの手づくり市

前日の雨も上がり、お出掛け日和となった黄金週間最終日、かがみの手づくり市を目指し、一路奥津へ。
これまでも毎年初夏と秋に開かれてきたこの手づくり市。
大抵は木版画家・星江美さんのポストカードやカレンダーの仕入れが目的ですが、他にも見たい作家さんが出店されていたり、回ごとに違う作家さんが参加されていたりするので、毎回楽しみにしているのです。
今回は会場が少し移動していて、とても明るく、出店も多くてとても賑やか。
陶器のモチーフを選んで革ひもに通し、ネックレスを作ったり、生年月日を元にした自分の色をベースに、窓辺などに吊るとキラキラきれいなサンキャッチャーを作ったりと、ワークショップを楽しむお客さんも多くいました。
わたしは、出店していたパン屋さんやカフェで購入したパンをむさぼり食いながら、今日は何を連れ帰ろうかと星さんのブースを閉店時間まで物色してしまいました。

爽やかな5月の風。道中の美しい緑。初めての道を通ってもみて、ちょっとしたドライブにもなりました。


     

緑の季節


会いたい人と、行きたいお店でごはんを食べに、蒜山へ。
どの季節でも自然豊かな蒜山だけれど、初夏の蒜山がわたしはいちばん好きかもしれない。春が終わり田植えが始まりかけた、まだ緑の淡いこの季節。
新庄村を通りトンネルを抜けると、目の前に広がったのは、芽吹きを待つ蒜山三座とその向こうに残雪の大山、手前に続く草原と、薄黄緑の若芽の萌える木々と山々。ああ、なんと美しい・・・
久々のイル・リコッターロでお昼をいただき、パン屋さんに寄ったあと、花は終わっているけれど、参道の桜並木と大鳥居が有名な茅部(かやべ)神社へ。お社まで1キロ程、穏やかな光が射し鳥の声が聞こえる、大変清々しい空気の中を歩いている途中、いきなり見事な大山の姿が右手のどーんと現れて見惚れてしまった。
お参りしたあと、近くにあるらしいハーブガーデンに行ってみる。春から秋にかけ、季節のハーブや花が楽しめる所で、特に6月頃の満開のラベンダー畑が人気である。ここも蒜山三座と麓の景色が一望できる素晴らしいスポット。お天気はよかったが風が少し冷たい(5分袖を着ていたが、脂肪の多い体でよかったよ。)園内は、勿論ラベンダーにはまだ早く、チューリップなどの春の花の植え替えをされているところだった。それでも色んな花が楽しめて、この花好き、これ植えたいと話しながら見て回る。本当によく手入れをされている。ラベンダー畑が広がる斜面のその上の山の色が、まさに寸分違わぬわたしの好きな薄黄緑で、感激のあまり声をあげてしまったことである。
あっという間に時間は過ぎて、蒜山をあとにするまで、本当にいい時期に来たと何度口にしたかわからない。
1週間違っても、1日違っても景色は変わる。ああ、この日でよかったなあ。
心に潤いの満ち満ちた1日でした。

 
     
ロッキンクラシック

若い方々は存在自体知らんかもわからんが、一昔前、MDというものがあったのですよ。CDが5〜6枚分くらい入るので、聴きたい曲を限度いっぱい詰め込んで、作業中かけっぱなしにしていたりしたのだが、いつの間にやら廃れてしまい、今や再生できる機器を探すことが非常に大変になってきているものを、未だに聴いていますよわたくしは という話なのだけれども。
先日何を聴こうかなとMDを入れている箱を見ていたところ、何も書いていないものがあったので、なんだろうと思ってかけてみた。
果たしてそれはクラシックの曲をいくつか録っていたもので、あら懐かしいとそのまま聴いていたのだが、ある1曲がかかった途端、心拍数がはね上がった。
ホルスト『惑星』の1曲目「火星」。
「木星」は『ジュピター』として平原綾香さんが歌っていたりするし、聴いたことのある方も多いのではなかろうか。「火星」は「木星」に次いで耳馴染みのある曲かもしれないが、今回、ちょっと・・こんなかっこえかったっけ・・・?と、久々に会った知り合いにものすごドキッとしちゃいましたよ状態に驚いてしまった。
重厚で戦闘的で(戦いの星らしい)激しく扇情的。そしてど迫力。
今回自分でもびっくりしたのは、今まで聴いてきて初めて、ヘッドバンギングしたことである。

・・・ロックじゃないか。

クラシックって、きちんとしていて、仄暗い書斎かなんかでソファに腰掛け、静かに耳を傾けているようなイメージがないだろうか。
しかし である。色んな曲があるのだよね。一口にクラシックって言ったって。心を掴まれ震わされ、泣けてしまうことが多いのだけれど、可愛らしい曲もあるし、なんだかひょうきんな曲もあるし、「火星」みたいに、うおおおおおとなってしまう曲もあるのである。さすがにコンサート会場でヘッドバンギングは自粛しますけどもね。
かっこよすぎて、しばらくの間聴き続け、続けて『仮面舞踏会』(4楽章の「ロマンス」素敵すぎる)やら『道化師』やらシベリウスやら聴き、しばらくクラシック漬けで過ごしました。

クラシックといえば、きたる6月22日に真庭市のエスパスホールにて、新日本フィルの室内アンサンブルのメンバーと地元のアマチュアオーケストラによる演奏会が開かれます。プロの弦・管アンサンブルや、ベートーベンの交響曲第7番(これも有名な曲。2楽章はサラ・ブライトマンが自身のアルバムで歌詞を付けて歌っています。大好きな曲!)が聴けますよ。
堅苦しいと敬遠せずに、触れていただくと案外虜になるかもしれませぬ。

 

 

歌いたいの
(時々)

これが終わったら絶対、1.髪を切って2.歌いに行く と決めて仕事をしている最中、折しも聴いていたラジオでカラオケをテーマにしていたもので、余計こと行きたくなってしまった。

わたしにとってのカラオケにおける基本形は、1人である。(これを表明した時点でかなりの割合の人の心がわたしから離れる。)
歳も歳なのだが、その年齢よりだいぶ前の年代の歌を好むようで、同世代やもっと若い人々とカラオケに行くと、何を歌えばよいかたちまち困ってしまうのである。無難にキャンディーズや明菜ちゃんの有名どころを繰り出してはみるが、百恵ちゃんの『プレイバックpart2』ならいけるとしても『絶体絶命』で盛り上がるかどうかは未知数である。
1人ならば、好きな曲をどれだけ歌おうと、盛り上がろうと盛り下がろうと気兼ねもなく、下手であろうと苦情も出ない。
1人でカラオケに行く勇気がないという方もいるが、別に勇気のいるようなものではない。美術館でも旅行でも、立ち食いそばでも映画でも、行くか行かんか、やるかやらんか、好きか嫌いかではなかろうか。もっとも、大勢で楽しくカラオケができる人の方が、良好な人間関係の構築に長けていると思われるので、1人で行けないからといって悩む必要はないとも思う。また、わたしにとって歌うというのは、発散とかとはまた違う、もう少し精神衛生上重要度の高いもののようなので、行くか行かんかというよりは、行かずにおれるかぐらいのものでもあるが。
とはいえ、大人数や何人かでカラオケに行くのもそれはそれで好きである。歌の上手い人・声の可愛い人・知らないおもしろい歌を歌う人、他の人のパフォーマンスも大変楽しい(飲んだあとのビールのジョッキにマイクをのせ、エアアコースティックギターを爪弾きながら、斎藤和義さんの『歌うたいのバラッド』を歌い上げ、場を大いに沸かせた同級生には心底感動した。忘れられないよ)。

大体、みんな歌うの好きなのではないかしら。
カラオケ愛好者も多く、毎年近くのホールで開催される、ステージで歌を披露できる歌謡祭には、相当数の応募者があるようである。人前で歌うのは嫌いという人も多かろうが、車を運転していると、すれ違う対向車の結構な人が、口をぱくぱくしていらっしゃる。笑うこと同様、歌うというのは健康によいと言いますし。
そういえば、わたしが歌うとなぜか大抵人に笑われるのだが、つまりは周りの人の健康維持に少しは役立っているということだろうか。だとしたら嬉しい。
1人で好きに歌っているところを見られたら、とても笑えないと思いますけどね。ふふ・・

 
     

 

 

 


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