家族が
100人
できるのか?

 

 

どうしたのだ!
両親の家の食卓の上の大きな鉢を見て、そう申し上げずにはおれなんだ。

めだか。
両親がめだかと暮らしはじめた。
冒頭のわたしの問いに対しては、ひと言「飼(こ)うてみょうか思うて」。いやなぜそう思ったのかが知りたいのだが。

めだかは卵を仰山産むので、どんどん増えると聞いたことがあるが、既にその状態は起こっており、偽物の水草にはぷちぷちした卵が至る所に付いている。勿論母のことだからそれを流したりせんだろうし、実際、めだかが孵化したこどもを共喰いせんよう、せっせと別の容器に分けている。成り行き上手伝いながら、どうするん、めだか屋でもするんかと言ったが答えはない。

わたしは生き物を飼うつもりがない。自分の世話で割合手を焼いているというのが主な理由だが、今回めだかを見ていてその思いを強くした。
そう、見るのである。いつまでもいつまでも見てしまう。散歩もいらないめだかですら、或いはまだ動きもしない卵ですらそんなでは、いわんや犬をや、うさぎをや。そんな目を奪うものが同居していては、ますます生活が破綻してしまうと危機感を覚えた次第である。
特に動物が嫌いなわけではないし(むしろ毛が黒いのなどは好きなくらいだ)飼えばかわいいと思うのはわかっているが、幸い犬や猫たちと暮らしたいという気持ちがない(猫は性格が似ているから合いそうにないし)。
やはり一緒に暮らすなら山羊か象だと思うのが、第2の理由と思われる。

 

 

 

 

   

     
夏山讃歌

小学生と一緒に、山に登る機会を得た。
蒜山にある津黒山(つぐろせん)という山。山登りのベテランさん曰く初心者向けの山だそうで、ならば山登りが苦手、いや正直に申しますと登山嫌い(山歩きは大好きですぞ)のわたしでも、いけるのではないかと思ったのである。嫌いとはいえ、今回はちょっと登ってみようかなと思っての参加なので、一応やる気はあってのこと。お休み中のスキー場の上の登山口までバスで連れて行ってもらうという更にビギナーズにはやさしい行程。
なのだがしかし、数日前に降った雨で足元は悪く、結構勾配もきつい。登り始めてすぐ、ほんまに初心者向けなのか?という思いがせり上がる。とはいえ、たとい図体のみとしても大人とよばれる部類ですから、1人だったらどれだけ弱音を吐いたか知れたもんではないが、小学生に注意を払い、励ましたりとかせねばならない。勿論、効果の程は知れたものではないが。
かんかん照りでもなく、木々の陰もあって、風など吹くと心地よいお天気ではあったのだけれど、歩いているととにかく暑い。汗が流れ、リュックを背負った背中はびっしょり。小学生も暑い暑い、まだ登るのかと根を上げかける。先頭を行くベテランさんはというと、全く汗が出ない、なんて爽やかなのだと仰る。経験の差におののきながら、休み休み頂上を目指す。道の途中には、ほととぎすや撫子が咲いていたり、猪の足跡を見つけたり。
1時間程で津黒山登頂。ガスがかかって、大山をはじめ周りの景色はあまり見ることができなかったが、風が清々しく、なかなかよい気分であった。
下山の際は、登りでは後ろから遅れをとって歩いていた男子軍団が、滑るのがおもしろいのか、走って転がるように、実際転がりながら猛スピードで下りていった。よくひざが笑うというが、わたしの場合はももが笑っている状態で、気を抜くとひざがくだけて、水を飲むキリンのようになりそうな程足が疲労。尻もちこそつかなんだが、懸命にももの笑いをこらえながら、靴を泥まみれにして下山。

まんまと筋肉痛になったものの、なんだろう、自分で登ろうと思ったからか、ああもう2度と登りたくないという気持ちはなく、案外よい気分が残る登山であった。初心者向けの山だったからかどうなのか。だんだんと嫌いがそんな嫌いでもないに、これから変化していくのだろうか。そうしたらちょっとは、山大大好きな母のお供ができるようになるかもしれない。

     
或る夏の詩

案の定  めだかが増えている。

おでんを作る保温鍋まで   使われている。

 

人生は驚きに満ちているらしいよ。

意外か想像通りかはお任せするが、おともだちという人がどうやら少ない。
人によってその定義はかなり違うものだと思うが、殊、高校時代のそれに至っては、わたしの思い込みを許してもらっても片手で足りる。
道中の景色を見るために登校し、授業後は積極的に帰宅部の活動(下校)に打ち込み、卒業後先生にさえ行方知れずになったと思われるような日々を送っていたのだから、卒業しても連絡を取り合う密な交友関係が構築されていなくとも、なんら不思議はないのである。
また、そんな生活をしていた上に、田舎にしては割に生徒数の多い学校であったため、卒業式で初めて、えっこんな人おったんかという現象が次々起こる(勿論相手にとってもわたしがそうであったろうが)。結果、同学年の半数も知っていたか定かではない。

先日、岡野屋旅館プロジェクトにボランティアで度々お手伝いをしてくれたかわいい高校生の女の子が、高校生活が楽しくて、卒業してしまうのが淋しいとのたまったのには感動すら覚えましたよ。そんな日々を送れているなんて、What a wonderful。わたしの高校卒業したさといったら、尾崎豊に負けるとも劣らんぐらいであったぞ。
とはいえ、高校生活が死にそうな程悲愴なものだったかというと、全くそうでもないのですけれどもね。

そんなこんなで、高校に関わる様々にほぼ接点を持たずに暮らしていても、半年でやめた部活で一緒だった子とばったり会ったり、お仕事をした人がお互いに当時は知らなかったが同級生だったりというようなことがたまにある。同じクラスだった人とは、たまたまその人の活動を知って会うことがあり、そこで初めて話したり。最近では、展示を見たクラスメイトが連絡先を残してくれて10年以上振りに会うことになったり、仲良くしてもらっている方のお友達が同級生と判明したり(そして互いに知らない同士)。

学校に通っていた頃の友達が、大きくなっても一番仲がよいという話をよく聞くけれど、わたしの場合は学校を出てから知り合った人の方が、連絡を取る機会が多く、関係が深くなるような気がする。(小中学校の友達は、たまにしか会わなくても会った時がとても楽しく、変な気遣いも無くて、これはまた特別なようだ)以前新聞の、過去の有名な人物の言葉を取り上げているコーナーに、「人生 出会うべき人には必ず会える しかも一瞬早からず一瞬遅からず」という言葉があった。まだわたしは10代くらいでは、人といい関係が作れるとこまで成長してなかったということなのか。いや、それについては未だ全く自信がないのでそうではないのか・・
初めてお目にかかる人、時間を空けて再会する人。良くでも悪くでも深くなっても浅いままでも、一瞬早からぬ一瞬遅からぬ時を選んで、会いに来てくれるのだなあと、自分勝手に思う日々。
これから、衝突事故よろしくわたしが出会いに行ってしまうであろう皆さま、先に申し上げておきますが、いやはやどうもごめんなさいよ。

     

 

 

 


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