2人で
お茶を

 

 

 

わたしのことを生まれた時から知っているおばちゃんのおうちへ、用事があって寄った時のこと。
もう長いこと、お久し振りですとご挨拶したり、少し立ち話をしたりするだけになっていて、今回もお返しするものをお渡しするだけのつもりで伺ったのだけれど、お宅のドアを開けると、おばちゃんの声がして「お上がりなさい」と言われる。何か用があるのかなと思いながらお邪魔すると、お茶を飲もうとおっしゃる。コーヒーならすぐに出たのだろうに、コーヒーか紅茶かと問われて紅茶と言ったばっかりに、紅茶のありかを随分探させてしまったが、おばちゃんも自分にはコーヒーを入れてきて、書きかけていたお手紙を横にやり、次々にお菓子をすすめてくれた。
わたしのことや両親のこと、わたしがお兄ちゃんと呼ぶ、おばちゃんの息子さんの知らなかった大学生の頃の話や、今年大学に入ったお孫さんのことなど、お菓子をよばれながら色んな話をした。
あっという間に30分程が経ってしまって、おいとますることにしたが、靴を履くわたしの後ろで、「あー楽しかった」とおばちゃんが言った。

その言葉と場面が、まるで四角くくりぬいて、どっか別の所にはめられたように、ピックアップされて残っていて、時々ひょいとよみがえる。
勿論わたしも楽しかったし、久々にゆっくりお話ができてとても嬉しかったけれど、おばちゃんがわたしと話して楽しかったのだと知った驚きなのか、常には表明しないであろう独り言的感情に、思わぬ触れたからなのか、或いは、おばちゃんからしたら全く大した事ではないのに、わたしが独り言的感情を人前で表明し慣れてないために、勝手にディープインパクトを喰らったのか、その理由こそ定かではないが、言葉というものの持つ力を思い知るという、至極ありきたりな状況に直面して、やはりありきたりにそれを思い知ってしまった雨の穏やかな午後であった。

 

 

   

     
初めての場所たち
ツアー

車や汽車に乗って流れる景色を見ている時、大きな木がこんもりとかたまっている場所があったり、ちらっと鳥居が見えたりすると、そこへ行きたいなと思う。
なぜってそこには神社があるから。

真庭市落合にある有名な大きな桜・醍醐桜が見たいと言う方にお供した際、同じく落合地内にある木山神社にも行ってみたいんだがというのに、わたしもよく耳にするのだけれど行ったことがなかったので賛同。

ちょっと迷いかけながらも到着した木山神社は、大きな門を構える立派な神社。石段の両脇には今が見頃のあじさいが。前日の雨に濡れ、重たそうな色とりどりの花のかたまりを、はりっとした緑の葉っぱの間に持たせかけている様よ。なんと美しいのか、よい時期に来たものだと言いながら石段を上りきると、これまた大きな拝殿がどかーんと現れる。まあ立派なこと・・・お参りをしてうろうろと境内を見て回る。拝殿の前の生け垣はどうやらくちなし。咲き始めだったのだけれど、これが満開になったらどれだけよい香りがするだろう、わたしなぞよいにおいすぎて倒れてしまうのではないかと想像する。

続いて、あじさい寺とよく聞く木山寺へも行ってみることに。神社からは3キロという表示。とりあえず車を走らせると、どんどん山を上がっていく。そうして辿り着いた木山寺も、沢山のあじさいが出迎えてくれ、空気もひんやりと大変清々しい。あらまたよい所に来たんではないのと建物に近付くや、門の手前にはこれまた見事な睡蓮の池!ああなんと美しいのだ・・・わたくし何年も前、睡蓮の出てくる漫画を描いたのですけど、早う来とけばえかったなーここ としみじみ思ったことであった。木山寺もとても立派で、その上の方には現在修繕中の奥宮も。元々木山神社と木山寺は、神仏習合の木山宮だったのだそうで(木山神社ホームページより)。ええなあ、神仏習合。仲良しな感じで。神と仏を分けなければいけん意味がわからないよ。神社もお寺も美しくて好きであります。

そのあと、メインであった醍醐桜へ。花の時期に長時間かけて上った道を、えっこんなもんだったんか!?という早さで上がり、緑の季節の醍醐桜にお目にかかる。いやあ、大きいなあやっぱり。うわーと手を広げてどだーんと立っていらっしゃる。静かで豊かで穏やかで。こういうのだって神ではないの。昔春に大渋滞の中桜を見に行って、もう2度と来るかと心に決めたものだが、醍醐桜はいつ来たってよいと思った。むしろ春以外に来れば、すぐに上まで行けるし人はおらんしいつでも桜は見事じゃし、まったくよい時期に誘っていただいたものです。
いっぱい緑を浴びて、目の健康と心の平穏を養った1日でありました。

 

     

 

 

 

     

 

 

 


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