黄金
いうより
いぶし銀

 

 

 

2日につく予定が、麹の仕込みが遅かったせいかその日に出来上がらなかったため次の日にずれ込み、3日に味噌つき。
4日はかがみの手づくり市を目指し、雨の中奥津へ。小指のけがの説明をして星さんを怖がらせて泣かせ、営業妨害をし、かわいいこけしちゃんを連れ帰る。
5日は地元の神社で行われる宮ごもりへ。田植えが始まるこの時期に、地域の人が寄り集まって、今年も良い出来でありますようにと拝んでいただき、てんでに持ち寄ったお昼を食べて帰るという行事。お神酒を3口程舐めたせいか、家に帰ってから、歩いていてもそのまま倒れ込みそうな程の眠気に襲われ、夕方まで素直に倒れる。
6日はお茶のお稽古。

という話を、連休明けに電話をくれた友人にしたら、ふっと笑ってひとこと「しぶいな」。

 

 

 

   

     
きっと
今度は
1年後

体重計を所持しない。毎日体重を量るだけというダイエット法が少し前に話題になっていたが、わたしは絶対量らない。秤に載らずとも日々暮らしていれば太ったか痩せたかなぞわかるではないか。自分のことである。(よくダイエット用サプリや衣類の広告の体験者談で、「不摂生がたたって、気が付いたら10キロも増えてました」とかあるが、10キロ太るまでに絶対途中で気付くだろう!!と思わずにはいられない。3キロ増えたって体の重さがまるで違うぞ!尻の肉とか!第一服が入るまーが!)わたしの場合、量ってみると大抵自分で思っているよりだいぶ重く、ただ腹が立つだけなので、もうおそらく7〜8年は量っていなかったのが、去年から健康診断を必要とする事情ができ、今年も丁度太ったな〜と思っていたところに否が応でも体重計に載らねばならぬ事態となった。而して昨年の同時期より1.5キロ増という自覚の上のダメ押しを喰らい、わかっとるっちゃ!!と秤の上で地団駄踏みたい衝動を必死で抑えながら色々量られ、すごすご帰った。(ちなみに2センチ背が伸びていた)
一方我が母は、先月新しい体重計を買い、毎日体重・BMI・体脂肪・内臓脂肪の値を記録して、わたしとは逆に1.5キロ痩せたのである。体重以外の数値も少しずつ減っていて、まさに量るだけダイエットの成功者とあいなっている。1.5キロおとすのはなかなか大変である。すごいことである。それを目の当たりにしても決してやろうとは思わないのは、その増減する数字がわたしにとってはストレス以外の何者でもないからであるが、ショックついでに風呂上がり、母と同じように体重計に載ってみたら、0.6キロ減っているではないか。「なあなあ、風呂入っただけで0.6キロ減っとる!」と言ったら、「あんたあ服う着て量ったんじゃろう」。
うぐーーーーッ!!
内臓脂肪が3.0レベルだったのでまあよしとする。

 

後日談ですが、あっ痩せたかもと思って1週間後に体重計に載ってみたら、果たして体重2キロ減の内臓脂肪は1.5レベル。といいますか、レベルって何だ。3.0レベルでよしとした自分て何なのだ。

     
彩られる日々

例えば締切間近とか、なかなか時間が取れそうにない時であっても、絶対に行きたいと思う展示に出会うことがある。
奥津の木版画家・星さんとお話しした際に、岡山県立美術館で版画の展示があるねと言ったら、それ行くよとおっしゃる。会期終了が近かったけれど、運良く都合のよい日が合い、同行させていただくことにあいなった。

『会津を愛した版画家 斎藤清のあゆみ』
昨年秋に観た岡山シティーミュージアム での林静一展も相当の作品点数だったが、今回の展示もかなりの規模である。版画についての知識がないので時々星さんの邪魔をして尋ねながら、行きつ戻りつ何度も往復。色使いも勿論だけれど、構図、デザイン性の素晴らしさに倒れそうになる。「会津の冬シリーズ」にさしかかった時にはもう完全にテレサ・テン。なぜか知らんが、ごわーんと積もった雪の丸みのその影に、あわや泣き出してしまいそう!だったのでありまして・・・ああ!本当によいものを観た!満たされた!星さんに終始腹の減り具合を心配されたけれども、確かにもう限界をとうに超えて、美術館を出た時には頭痛さえ起こっていたけれども、およべうどんでエビ天付温玉カレーうどん2玉を待っている間口ももとおらなくなってきたけれども、この心の平穏具合といったらないねという程の充足感に包まれていたのであった。

以前、なんで音楽を聴くんかなあと考えた時に(暇ですのでね)、よい音楽を聴くと、聴いたものが自分の中に次々に重なっていって、自分の中に入ってくるいがいがしたものやぐさぐさしたものやわやわやしたものを、丁度砂や土が水を濾過するように、そこを通ることによってなんでもないことになったり、別のものに変化したり、そういう作用をするものなのかなあ、じゃけん音楽を聴くんかなあと思ったりしたことがあるが、よいものを観るというのは、刺し子や刺繍のように、観る度に布に色や模様がどんどん増えていって、しなやかになって強度を増して美しく豊かになって、思いもしなかった絵柄が現れたり、用途が見つかったりしていくことなのかなあとふと思った。
今更そんなことに気付く程度の人間ですので、まだまだ針を刺せるところ満載のようですが、今回かなり色とりどり増えた気がする1日だったのでした。

 

 

手をかけ
目をかけ
声をかけ

自分の世話だけで手一杯とか情けないですけれども、まあ自他ともに認める、鉢ものを枯らす名人であります。
特にさつきに関しては名人中の名人で、剪定を習って早速やってみても、率先してそれから枯れていかれてはもうどうしろと言うのだという気持ちでございます。
我が家から両親の家へ引っ越した何鉢かのさつきが、大変元気に花を咲かせている様子に、家主が悪かったと諦めてくれなどと開き直ったりしておりましたが、ふと母が土に突き刺すタイプの液肥をやっているのを目にし、さつきの肥は10月までという、さつきの師匠のお言葉に従って、昨年秋に液肥をやってみたのです。
そうしましたらこの春、出てきた新芽が今までにないきれいな見るからに元気そうな緑で、新たに木の根元などからも芽吹き出し、あらっと思っていたところ、今月半ば頃からこれまで全く花をつけなかった木に次々に蕾が付き始め、なんと花盛りになっているのでございます。
赤・白・紫・薄ピンク・白と赤の混ざったの。
かつてわたしが好きだった、思い出の花たちが今目の前に・・・
真ん中が枯れて脇の枝1本になってしまった木に、大きな赤い花が20近くも付いているのには、感動して溜め息が出ます。
といいますか、たったこれだけのことだったのか と。
まったく、細川たかし、またはザ・ピーナッツでございます。
たったこんな程度のこともしてやらずに、諦めろだの・・・
バカであります。おバカさんです。
母に言わせれば「ちっとも咲いてないがな」らしいので、完全な自己ならぬ家主満足のようですが、それでもいいのです。今年の秋に何をすればよいかがわかったのです。
花たちを一瞥しながら「あんまり鉢を増やしなんな」と面倒くさげに言う母を見詰めながら、今月我が家に仲間入りしたポピーをはじめとした5つの鉢は、母の家からの引っ越し組だということをお忘れなのかなと思った、五月晴れの午後でありました。

     

 

 

 


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