雪山参加 |
「雪山行くんならシロちゃん絶対来とるよなあ」 雪山で遊ぶため家族総出で北へやって来た(前日に母から来ないと聞いていたのだが)思い込みの激しい姪たちの期待に応えるべく、先月に引き続き雪山へ。 1度食事などができる建物内で休憩をして再び雪の中に出て行ったのだが、もうお昼も過ぎわたしのエネルギータンクは既に空になろうとしていた。姪がもっかいもっかいと雪山へ誘うが、目眩がしてきて足に力が入らないのでお断りする。朝が遅かった母や姉家族は元気に雪と戯れているが、わたしはもはや限界となり休憩をした建物に入る。ラーメンやカレー・定食など、そこには食べ物がたくさんあるが、ここで腹を満たすわけにいかない。なぜならこのあと奥津の道の駅にある温泉亭にてごはんを食べる計画なのである。拷問のような空間で、頭を支える力もなくなったわたしはテーブルに突っ伏し、皆が遊び疲れるのを待つ。お腹がすいても胃に物が入れられない状況というのは心底悲しくなる。(予想される意見「だったら食べればいいではないか」「正直知ったことではない」「勝手にしやがれ」等)戻ってきた皆に、父がもう帰ろう、なんとはなしに腹が減ったと言ったのに、わたしがなんとはないどこじゃあない!と言うと、めっちゃ機嫌が悪いと姉は大ウケであった。温泉亭が閉まってしまう!と、やっと子供たちを車に乗せ出発しかけたら、母が恩原湖を回って帰ろうなどと非情なことを言い出すので、冗談ではないと断固反対の意向を示す。 後日人に話したところ、「やだ そういう人」と言われた。 みんなわたしに近寄らないでくれ・・・ |
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みかんの ちから |
昨年暮れ、餅つきの最中に届いた1つの段ボール箱。 2日続けて畑に出た次の日の朝、目が覚めるや背中や足や、体中が痛い。明らかに耕耘機で畑を引き回した筋肉痛とは違う。 なにはともあれ、おいしいだけではないかもしれないみかんの力に初めて思いの及んだ出来事であった。 ちなみに、みかんはぬくめて食べる。横にスライスしてパンの上に載して一緒に焼いて食べるのが特に好きである。
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縫子の部屋 |
下の姪が幼稚園に入るという。つきましては上の子のシューズ袋とコップ袋を彼女に譲るので、上の子のそれらを作ってくれないかと姉から依頼が来た。 上手くはないがこうやって縫ってやろうかなあと思うのは、自分が子供の頃母が作ってくれていたからだろうかと思う。いちばんのお気に入りは、幼稚園で着ていた白に黄色い小花柄のお仕事着(今で言うスモックか?)。他の子はみんな幼稚園で買う水色かピンクのを着ていたが、母は同じ形のものを作って着せてくれた。手提げなど小学校を出るまで何枚も。中でもよく覚えているのは、小学生の頃母が作ってくれたシューズ袋で、当時その大胆なツートンカラーが正直好きではなかったのだが(生地も厚手の異素材を使用し斬新だった)、今気が付くとそのツートンカラーであったピンクと紺はわたしの大好きな色合わせである。 なんでもかんでも親のせいにすな!と一喝されて終わりそうである。
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