雪山参加
再び

「雪山行くんならシロちゃん絶対来とるよなあ」

雪山で遊ぶため家族総出で北へやって来た(前日に母から来ないと聞いていたのだが)思い込みの激しい姪たちの期待に応えるべく、先月に引き続き雪山へ。
雨が降ったり温い日があったりしたので、雪はどうだろうかと心配したが、降っていた雨もスキー場に着く頃には雪になって、ゲレンデにもまだ雪があり先月より少ないもののスキーヤー・スノーボーダーの姿が見える。
早速そりを引きずり雪の斜面を登る。とはいえ1年生の姪は1人で登るが、もっとちいさいのたちは1人で登れず、待って待ってと大騒ぎ。そりを持って子供を抱えて雪の坂を登るのは、なかなか難儀なことである。上まで行ったら行ったで、こわいこわい手を離すなどっか行くなと大騒ぎ。わりと傾斜もきつかったのだけれど、滑ったら滑ったでこわいこわいと大騒ぎ。途中からちいさいの2人は坂の下で雪山を作って遊びはじめる。姉とわたしは、わたしが先月一足先にデビューしたヒップそりに挑戦。そのコントロールの難しさに姉も大スピンし、大笑いしている。
リフトが動いている辺りはまだ雪がだいぶあるようだったが、我々がそりに興じている辺りは地面が見えている箇所もあって、今年は雪が少なかったからなあと思うと同時に、春になってきたのだなあと感じる。(帰りがけに聞いたのだが、入り口の看板にこの日が今シーズン最後の営業とあったらしい)

1度食事などができる建物内で休憩をして再び雪の中に出て行ったのだが、もうお昼も過ぎわたしのエネルギータンクは既に空になろうとしていた。姪がもっかいもっかいと雪山へ誘うが、目眩がしてきて足に力が入らないのでお断りする。朝が遅かった母や姉家族は元気に雪と戯れているが、わたしはもはや限界となり休憩をした建物に入る。ラーメンやカレー・定食など、そこには食べ物がたくさんあるが、ここで腹を満たすわけにいかない。なぜならこのあと奥津の道の駅にある温泉亭にてごはんを食べる計画なのである。拷問のような空間で、頭を支える力もなくなったわたしはテーブルに突っ伏し、皆が遊び疲れるのを待つ。お腹がすいても胃に物が入れられない状況というのは心底悲しくなる。(予想される意見「だったら食べればいいではないか」「正直知ったことではない」「勝手にしやがれ」等)戻ってきた皆に、父がもう帰ろう、なんとはなしに腹が減ったと言ったのに、わたしがなんとはないどこじゃあない!と言うと、めっちゃ機嫌が悪いと姉は大ウケであった。温泉亭が閉まってしまう!と、やっと子供たちを車に乗せ出発しかけたら、母が恩原湖を回って帰ろうなどと非情なことを言い出すので、冗談ではないと断固反対の意向を示す。
幸い温泉亭の営業時間に間に合い、思う存分いただいた。

後日人に話したところ、「やだ そういう人」と言われた。
確かに、これだけ機嫌が悪い人間に、うちの人々は温かいなあと思ったものです。いやまあ、機嫌が悪いというよりは悲しくてやりきれないという方が近いのですけどね。そんな時ってあんまりにこにこできないでしょう。えへへ  ・・・

みんなわたしに近寄らないでくれ・・・

 
     
みかんの
ちから

昨年暮れ、餅つきの最中に届いた1つの段ボール箱。
秋、熊本を訪れた際、まるで初めてみかんを見た人間のようにみかん!みかん!と騒いでいたわたしに、上田めぐみさんが送ってくださった天水のみかん。
冬は、こたつにみかんがセットのように言われるが、わたしにはこたつでぬくもる習慣も日々みかんを食べる習慣もない。がしかし、他からもみかんをいただき、この冬初めてみかんを毎朝食べて過ごした。そして3月に入り、今年は風邪をひかんかったなあと思っていた矢先、事件は起きた。

2日続けて畑に出た次の日の朝、目が覚めるや背中や足や、体中が痛い。明らかに耕耘機で畑を引き回した筋肉痛とは違う。
この痛み、  知っとる・・・
布団の中で痛みに身悶えながら、よみがえる昨年1月の記憶と、少し前に聞いた知り合いの方の言葉。「インフルエンザにかかっても、熱出ん人がおるみたいで」
うっすらと危険を感じながらも、病は気からと自らを励まし、よいのではないかと思うことを片っ端から試みて、1日1日復活したり倒れそうになったりを繰り返しながら(それでもイル・リコッターロには行くけども)なんとかやりすごしたが、その時はたと気付いたことには、調子を崩したのは丁度みかんがなくなってしまった頃だった と。
まさか・・・この冬風邪をひかんかったのは朝みかんのお蔭ということか・・・?だとしたら風邪をひく人口はもっと少ないはずだろう、なんぼビタミンCがどうとかいうても、いやしかし・・・

なにはともあれ、おいしいだけではないかもしれないみかんの力に初めて思いの及んだ出来事であった。

ちなみに、みかんはぬくめて食べる。横にスライスしてパンの上に載して一緒に焼いて食べるのが特に好きである。
柿も同じようにするのだけれど、人に柿をいただいた時そうやって食べるよと言ったら、思いがけず「えーーーー」とひどく嫌がられたので、みかんのことまでよう言わなんだ。上田さんに話したら、おいしそう!わたしも是非やってみようと言ってくださって、大変元気が出たことでした。

 

     
縫子の部屋

下の姪が幼稚園に入るという。つきましては上の子のシューズ袋とコップ袋を彼女に譲るので、上の子のそれらを作ってくれないかと姉から依頼が来た。
上の子には昨年1年生になる際に作ったばかりなので、下の子の入園祝いにその子に作るわと言うと、実は入園するにあたって6点セットがいるのだという。
手提げ袋・お弁当入れ・シューズ袋・ランチマット(!)複数枚・コップ袋・着替え袋。
今の時代こんなに袋が必要なのか!なんじゃ、コップ袋って!ランチマットて!更に大きさや生地・手提げの持ち手の長さの指定まであり、ぽかーんとするばかりである。姉からサイズなどが書かれた紙をもらい、布探しに走る。昨年同様、姪に似合い尚且つわたしも納得のいく色柄の布を探す。
当然自分のシューズ袋も出来上がってくると思っている上の子には、あんたのまだ使えるじゃろう。言うたらなんでも作る思うなよ。縫子じゃあねえぞと一喝。
入園は4月とはいえ袋に名前付けたりするのだからと慌て気味で作る。時々ガタガタと音を立てどきりとさせられる古い足踏みミシンを踏み続け、1つ1つ仕上げていく。全部出来上がった時の安堵感といったら・・・。一喝した上の子にも水色に小花柄のスカートを作る。これが世にいうツンデレか?更に自分にもスカートを1枚。ついでに雑巾をだだーと十数枚。

上手くはないがこうやって縫ってやろうかなあと思うのは、自分が子供の頃母が作ってくれていたからだろうかと思う。いちばんのお気に入りは、幼稚園で着ていた白に黄色い小花柄のお仕事着(今で言うスモックか?)。他の子はみんな幼稚園で買う水色かピンクのを着ていたが、母は同じ形のものを作って着せてくれた。手提げなど小学校を出るまで何枚も。中でもよく覚えているのは、小学生の頃母が作ってくれたシューズ袋で、当時その大胆なツートンカラーが正直好きではなかったのだが(生地も厚手の異素材を使用し斬新だった)、今気が付くとそのツートンカラーであったピンクと紺はわたしの大好きな色合わせである。
わーなんかこわいなー子供の頃の体験と思うと共に、ということは現在母に大いにひんしゅくをかっているわたしの格好は、母によるところも結構あるのかなあと思ったり。

なんでもかんでも親のせいにすな!と一喝されて終わりそうである。


 


 

 

 

   
     

 

 

 


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