慢心

そうでなくとも教習所での適性テストで、運転には向いていないと診断された人間にこれが加われば、さもありなんというものである。

一瞬の出来事でありました。
両親宅へ向かう途中、すぐご近所の道沿いの畑に、車の左半分が落ちたのである。
あっと思った瞬間に止まっていればよかったものを、咄嗟に上がろうとアクセルを踏み、斜め40°程に傾いたまま1メートルくらい走ったために、文字通り持ちも下げもできないと(ようひっくり返らなんだなとも)、寒い中出て来て車を見てくださった、その畑のお宅の方に言われるような状態となった。年に何十回も通る、よくまあここで車を落とせるねという広い場所で。普段は頼りないような軽い音をさせて閉まるドアが、かくも重たいものだったのかと脱出時に大変驚かされたのは余談であるが、これが父に借りている車であったというのが問題で、更に悲しいのは、この日父に会ったらまず、何日か前車庫に入れる際に左前方をこすって傷を付けてしまったことを、真っ先に謝ろうと思いながら家を出たということである。謝って済む事態ではなさそうだと思う頭の中では、同時に何枚もの諭吉が飛んで行く映像が見える。
ともかくも、プロの手に委ねる外ないとJAFを呼び、到着を待つ間家に戻って父に一報入れることにした(そのくらいご近所でやらかした)。「本当に申し訳ないのですが」と断ってから現状を申し述べると、父はひと言「はあ?」と言った。怒って当然である。わたしとて自分のかわいい車に何かあったら平然とはしていられない。しかしながら、それで車はどうなのか、なぜそんなことになったのか、それで今車はどうなっているのかなど、車のことしかお訊きにならない。挙句、今お前はどこに居るのだと言う。わたしは家からしか連絡はしないし、父の携帯には我が家の番号が表示され、父はいつも番号を確認してから出るのであるが、思いもよらないことが起こると人間不思議なことを言ったりしたりするのかもしれない。何しろその原因が自分であるのだから、父にどうこう言える立場ではない。不機嫌に電話を切られた後、JAFが予定より早く到着し、バンパーがめげるかもしれんのでご了承くださいと言われながら、寒くて暗い中、何の外傷もないように誠に上手に引き上げてくださり(しかも0円で!)、無事に車は畑から生還。その間、畑のお宅のご夫婦もついていてくださって、どれだけ心強かったか知れない。

そのまま運転して両親宅へ。
着くや否や、テレビを観ている父の所へ行き、両手をついて謝った。表情を変えず、それでどうなったのかと問う父に事の成り行きを説明し、再度すいませんでしたと謝るも、なんでそんなことになるんならと言われ、とうとういたたまれなくなり「そんなんこっちが知りたいわや!」とその場を去ってしまった。まるで3年目の浮気ばりの謝罪拒否。こちらに腹を立てる資格などないのはわかっているが、「それで車はどうなんなら」の間に「それでおまえはどうなんなら」のひと言でも挟まっていたってよいではないか。流しの食器を洗いながらそんな思いがこみ上げてくる。腹が立つのは自分が相手に期待しているからだとはよく聞く言葉であるが、こうやって親離れしていくのだろうかとぼんやり思う。いや、怒らせて当然のことをしたのだ。次の日はこの車が必要だったし、その車に何かあったら予定していたことが駄目になってしまう。父にしてみれば、開き直るその態度が気に入らないくらいのとこである。こちらが怒る筋はないのだ。怒るというか、なんだか悲しかったのだが。しばらくして、父がいたしかたないというような空気の弛緩を見せたので、この日はそのまま休むことにした。

車は無事次の日も130キロ程を往復したし、父が冬用タイヤに替えてもらうため車屋さんに持って行ったら、少し腹に傷があるが大したことはないとのことで安堵した。
もともと運転は苦手であるし、夜は特に緊張する。運転が下手なので注意して走っているつもりだが、いつもの慣れた道で気を抜いていたのかもしれない。これから雪が降ればもっと危ない場面が増えるし、その前に気を引き締めろということだったのか。助けてくださった方には大変に有難く、また大いに反省した出来事であった。

左っかわの車体の傷は、次の日の朝父に見つかったが、何のお咎めもなくあっさりと済んでしまったのであった。

 
     
改めて
出会う

随分前からTHE BLUE HEARTSをちゃんと聴きたいと思いつつ過ごしていたのが、最近やっとその機会を得てみるとやはり良くて、先月は毎日のように聴いていた。 何年か分のシングルとカップリングを収めたアルバムには、発売当時の売り上げ順位も載っていて、耳馴染みがあり当然10位以内には入っていたのだろうと思っていた曲が40位台だったなどという事実を知って、一体日本国民(わたくし含む)は何を聴いていたのだよと驚かされる。

そうしていたら、活動当時から好きで解散の時にもベスト盤を買い、今でもたまに聴きたくなるthee michelle gun elephantのFUJI ROCK FESでのライブ映像を観る機会を得た。
びっっっくりしてしまった。 なんなのだよこのかっこよさ。そしてライブのおもしろさ。
michelle(失礼とは存じますが以下このように)の曲は、CDも買ったけれど大抵ラジオで聴いていて、初めて聴いたのは『世界の終わり』ではなかったか、なんじゃこのかっこええの と録音したのを何回も聴いていた記憶がある。バンド名にわたしの大好きな象が入っているのも素敵。それから『キャンディハウス』を聴き『culture』を聴き『Get up Lucy』『G.W.D』『SMORKIN' BILLY』『GT400』など名曲を聴いてはきたが、ライブを観たことはなかったのである。ドラム・ギター・ベース・ボーカルのシンプルな編成で(というのは知っていたのだけれど)、こんな厚みも幅もある音を聴かせるなんて・・観れば観る程聴けば聴く程、H.S.Dである(はまる・しびれる・ドキドキする)。マラカスをあれ程格好よく叩く人を、かつてわたしは見たことがない。そして、ドラムのクハラさんがこれほどかっこよい方だったとは・・!みなさん演奏技術はものすごいし、大体michelleの曲はベースの動きが特に好きで、ライブ映像でもベースとギターが同じ動きをするところなど思わず叫んでしまう程だったが、もうとにかくクハラさんのドラムには終始釘付けでありました。なんなのだあれは。素敵すぎるではないか。(『culture』のコーラスなど格好よすぎて倒れそうだ!)
始まったのが夜11時半。遅くまで起きていられない質で、もう寝ようかもう寝ようかと思いつつ、結局最後まで観てしまった。

やはり、なんでもライブだと思う。
ロックでもスポーツでもクラシックでも会話でも。
先月のコントラバスの演奏会でもそう思ったが、生は凄い。感じるもの・受け取る情報量がまるで違う。今回michelleのライブを観て改めて感じた。少し前には、同じチャンネルで電気グルーヴのライブも観たのだが、これまた大層楽しくて素晴らしかったのである。いやまあ、ええ、テレビでしたけど。

かくしてTHE BLUE HEARTSに続き、thee michelle gun elephantが流れる今日この頃だが、しばらく前から好きなRADWIMPSと共に、運転中に聴くのを控えめにしているものの1つである(頭を振らずにいられないので)。


     
有終の美

師でもないのに、やたら走り回った月であった。

その最後の日、近所に住む親戚に、丹精して作った干柿を母に届けてほしいと言いつかり、毎年父がお飾りを作ってくれるので、それをいただきにあがるという用もあったため、午後から両親宅へ向かう。

飲み屋帰りに折をぶら下げたように干柿を持って車を降りると、それだけのためにわざわざ来んでもえかったのにと、干した黒豆を踏んでいた母が言い、更に一緒にそばを食べて行けと言う。ほんでもお飾り付けたりせんとと言うと、4時ぐらいに食べるんじゃがなと言いだす。わたしが来るなら共に食さんと、すき焼き用の肉を冷凍せずにいたのだという。ちなみにわたしの好物ではない。
さっき食べたばーじゃけどなーと言うも、母は早速段取りを始める。4時まで約2時間程、ちょっと本屋に行ってくらあとわたしは少し出掛け、戻ってきてから晩餐の準備。白菜・母の作ったこんにゃく・春菊・もやし・えのき・しめじ・葱を用意。電気の深鍋で肉を焼いて味を付け、野菜を投入。煮ている間にそばも茹でる。誰一人お腹は空いていないが。

4時過ぎ、外で溝掃除をしていた父に声を掛け、年越しすき焼き&そばを3人で囲む。父も食べながらしみじみ言ったが、家ですき焼きをするのは何十年振りだろうかというくらい。白菜などと肉を甘辛く味付けたすき焼き風煮はしばしば母が作ってくれたが(おいしいのである)正式なすき焼きは本当に久々。野菜がおいしい。お肉もいい味である。腹減ってないと言いながら食べてしまえる自分が恐ろしい。

暗くならないうちにと、お飾りをもらって帰途についたが、あったかいおいしいものを父母といただき、自分の家を出がけには、そばの川で随分長いことお目にかかっていなかったカワセミを目撃していて、なんともよい大晦日となったのであった。
大掃除もろくに出来ず、お飾りを付けたところで年神様に来てもらえるかは甚だ怪しいところだが。

 

 


     

 

 

 


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