癒されに行く

失礼なことに全く存じ上げなかったのだ。以前は同じ真庭郡であり、合併の際市には入らず1つ郡として残った県北部の新庄村に、森林セラピー ゆりかごの小径というものがあることを。

新庄村はひめのもちという餅米の生産が盛んで、そのお米を使ったお餅が有名な村。桜の時期には訪れることもあったのですが。

森林セラピーは、山登りではなく、ガイドさんのお話を聞きながら森の中をゆっくりゆっくり、木や草花を見たり生き物を見つけたり川のせせらぎ・鳥の声などを聞きながら歩く。山歩き・森歩きは大好きである。なんてったって大好きな大きな木だらけなのだもの。

ガイドさんからコースの説明・注意点などを聞いてから森に入る。前日は雨が降っていたのだけれど、それほど足元が気にならない。きれいに整備されていて、檜のチップが敷かれている箇所もあったり、地面がやわらかくて負担が少なく歩きやすい。途中途中で木の説明をしてくださったり、山野草の名前を教えてくださるので、自然と歩くのもゆっくりになるし、またゆっくり歩きたくもなる。

森林セラピーはドイツで盛んなのだそうで(丁度何日か前にテレビでも紹介されていた)実際に森から出たあとには、ストレスが軽減されるという実験結果も出ているらしい。わたしは単純に森が、大きな木やかわいい花たちが大好きなので、森に入ると精神が相当な回復をみせるのだが(したがってダメージを喰らうと森に逃げ込む)、きっとそれ程でない人にも効果がみられるということなのだろうなあ。

コースの途中にはハンモックを吊ってある場所もあって、寝転んで上を見ると、なぜだか同じ見上げているのに立っているのとはまた違って見えて楽しい。気持ちよくてそのまま寝てしまいそうになる。
みんなで喋りながら、笑いながら、大きな木に次から次へ抱きつきながら(ほぼわたしのみ)出発した場所に戻ってきた時には、もうこんなに時間が経っとったの?とみんなが驚いた。

子供でもそんなにきついコースではないと思うので、家族で歩いてみるのもよいのでは。季節ごとに違う花が咲くし、芽吹き・新緑・紅葉と木々の様子も変わってくるし、いつ訪れても楽しめそう。
久々に溜め息の出るような素晴らしい大きな木にに沢山出会えて、本当にいい時間を過ごすことが出来ました。

     
風に
吹かれて

まだ衆楽園に行ってないのだというご近所さんと一緒に旅するアートへ。
ここのとこ毎週水曜日になるとやってくる台風の中、警報も出たまんまだったが雨も落ち着いてきていたので出掛けることに。最初に衆楽園を訪れた際、雨が降ったら閉めんといけんのんだろうなあと言いながら観た太田三郎さんの展示場所は勿論のこと、外から見た様も大変よろしい高本さんの部屋も雨戸が閉まっており残念。わたしはまた違った感じが味わえたけれど。

続いてMOTHER ART FESUTIVALの会場の1つ、湯郷へ。
ご近所さんが、丸山いずみさんの展示があるよと教えてくださって、ならば是非行こうということになったのである。いずみさんの作品は坂口屋という元旅館(と聞いた)にあって、そこにはいずみさんを含め5人の方が展示されていたので内容もたっぷり。千葉尚美さんという方の作品が大変よかったなあ。ロッカーに居るお方をお1人でもいい、連れて帰ってしまいたいくらいだった。いずみさんの作品も相変わらず素敵で、場所・空間を上手いこと使うなあと毎回思うのだけれど、今回も遠くから見えただけで歓声を上げてしまうし、ずーっとぼやーと見とれてしまう。
坂口屋を出たあと近くのホテルのロビーに展示されていた小林泰子さんの作品も見せていただく。
時間の都合で全部は見て回れなかった上に、なかなか来ることができない湯郷なのに、その日に限ってパン屋さん(展示場所の1つでもあった)がお休みだったのは悲しいことであった・・

MOTHER ART FESUTIVALは、湯郷と棚田で有名な上山で11月4日まで開催しています。ほんまに見に行きたいとこがいっぱい・・来月もまだまだ続くのです。

     
猫目の
威力

ある日の夕まぐれ、町に向けて自転車を走らせていた途中、家の庭先にて今まさに自転車に跨がらんとしている女性(推定70代)を認め、横を通り過ぎざま「こんばんは」とあいさつしたら、それには応えず、走り去るわたしをそのスピードで右から左へ顔ごと目で追いながら仰った。「ライトを点けにゃあ」。語尾に「!」が付くような、叱責するような言い方で。思いがけんことに動揺しながら、視界の後ろへ去りつつあったその方に、「つ、点いてます・・!」と申し上げるのが精一杯だった。

だいぶ長く乗っているので、タイヤの引っかかりがなくなったのか、ある頃からライトのダイナモが空回りして(持ち主に似るのか?)音はするしペダルも重いのにライトが点いていないという事態が起こり始めたもので、そのライトは諦め、太鼓のバチくらいの小さい懐中電灯を自転車のかご前方にかませたり、最近は父がくれたクリップ付の、小さなLEDライトが6つ並んだものをかごに付けていたのだが、それが横からは見えなかったのかもしれぬ。
自転車用の取り付けライトを買おう買おうと思って忘れ続けていたのだが、そんなことがあり遂に忘れず買うことを決めた。

自分の本に『薄幸ダイオード』なんつうタイトルを付けといてなんなのですが、近年流行りのLEDライトの光が実はどうも苦手である。
白くて鋭くて目に刺さりそうに眩しくて、最近の車のライトも目を反らさなければならず、夜の運転が誠に怖い。というわけで自転車のライトもLEDでないのを選ぶ。パッケージにCAT EYEと書いてあるのが気にはなったが、夜に光る猫の目の如く明るくしてやろうではないかということなのかなぐらいに考えながら、電池を入れてハンドルに取り付け、出番が来るのを数日待った。
そして迎えた本番の日。かごに荷物を入れ、ライトのスイッチをONにした。「わッ!」 隣の家の壁をぱーッと照らす大きな丸 と、その周りに4重5重に光る円。こ、これが・・CAT EYEなのか・・?猫の目というより後光みたいな気がするのだが・・
走り出すと、道沿いの家々の壁などに当たった後光の部分が大変眩しく、どこを見ていいのかわからない。これでいいのか?CAT EYE・・正解なのか?CAT EYE・・

これで確実に、ライト点けにゃあと言われることはなくなるに違いないが、点けているにも拘らず事故を起こしはしないかと案じられることである。

 

秋の味覚

毎年のことながら、母の柿好きには驚嘆させられる。
畑で芋を掘っていたわたしに、ひと休みして今採った柿をほおばりながら、あんたも食べねえと母が言うので、ほんならと隣に座って食べ始めたのだが(畑ではタオルでよく拭いて皮まま食べる。ワックスをかけたようにつるっつるになる。不思議。)わたしが1つ食べ切る間に母は2コ半平らげて、尚も次の柿に手を伸ばす。それ程に好きな柿であるにも拘らず、ヘタを棄てる際の、なんとも言えぬ、心を尽くして仕えた側近を有無を言わさず手討ちにするが如き非情に満ちた放り方にも驚かされる。
まあとにかくよく食べる。

地元のお祭りの日、近くに住む親戚がお昼を一緒に食べようと声を掛けてくれたので、母とお邪魔した際も、その親戚のおばさんが、自分の里で沢山柿を採ってきたので持って帰りねえと言いながら、いかに柿が好きであるかを大いに語った。
「わたしゃあいちばん好きなのがりんご。2番目が柿。そんくれえ好きじゃ!」。その直後、夫に目薬を入れてもらいながら「いちばんはいちじく」と言っていたので、本当の順位は定かではないが。

大人になったなあと感じることがごくたまにあるが、まあごくたまにではいかんのだろうが、何年か前から干し柿が食せるようになったのはその1つである。
お茶を飲みながら、うんまいなーとか言っている。大人になったというよりは、年を寄せたという方が近いのだろうか。
結構ミルクティーにも合うのですよね。

     

 

 

 


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