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しまじろう |
自分もこんなだったのだろうかと不安になる程、小さい人たちが喋り続ける。特に2歳の姪。目が開いているうちは、喋るか歌うかとにかく、のべつまくなし何か言葉を発し続けるその様は、凄みさえ感じる。1日電話ですら人と話さない日もあるわたしには、かつて自分もそうだったのか、母から「持っとけ」と渡された育児記録の1歳中の記録の欄に「ない」と書かれ、それ以降も記録がないとなると、知るよしもがなであるが、そのおしゃべり姫が、ふざけて朝ごはんをなかなか食べなかった時のこと、彼女の大好きな、手をつっこんで遊べる、しまじろう(トラ)に手伝わせ、「わーもう少しでお茶碗ピカピカになるね」とか「これもおいしかったよ。食べてみてよ」と言うと、「うん!」とまあ驚く程簡単に食事を済ませてしまった。「しまじろうも食べる?」「ぼくはもう食べたからいいよ。どうぞ」「うん!」。明らかに横で喋っているのはわたしなのに、なぜこんなに素直に従うのだろうか。 きれいにごはんを食べてくれたことにほっとしながらも、少なからずしまじろうに嫉妬心を抱いたのであった。 |
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お花見 |
今年の桜は遅いねと言っていたところが、咲いた途端一気に満開になってしまった。今年の花は付きが悪いとか色が薄いという声も多かったが、毎年お花見をする場所で今年も弁当を広げた。 |
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なにはなくとも5−56 |
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物置に昔からあるタオルを整理し、しみの付いたものや色の変わりかけたものは雑巾にしてしまうことにした。夜ごはんまでの午後の全てを使ってしても、20枚しか縫えなかった。あと何日かかるかわからない量のタオルが控えている。ぐるりと周りを縫って、対角線にばってんすれば早いのだろうが、使う時のことを考えると楽しい方がいいではないかと、つい幾何学模様に針を走らせてしまうせいだと思うのだけれど、ただでさえ古い足踏みミシンを、急激に酷使したせいか、はずみ車が空回りし、途中から踏んでも踏んでも針が早く動かなくなってしまった。はずみ車にかかっている革ひものたるみが原因かと、短くしてみたが変化なし。もうこれは、この方にお願いするほかないと、KURE5-56においでいただき、ミシンのすきまというすきまに5-56を噴射したところ、見事に復活。しかし今度は急にどこからかギュシイギュシイと、すわ崩壊かといわんばかりの恐ろしい音を立て始め、もうミシン屋さんに診てもらうしかないかと半ば覚悟しつつ、それでもと下糸を入れる辺りに5-56を注入し、ペダルをギコギコ踏んでみた。なんとこれまたあっさり解決。それどころか、今までにない軽快な進み具合をみせ、不死鳥の如き復活を遂げた。 |
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春の庭 |
我ながら、よっぽど暇なのかしらと思うのだけれど、庭先のマーガレットや、去年ひょろひょろと生えてきて、冬の間に枯れたのかと思う程丸裸になっていた山椒の小枝から出てきた新芽が、1日1日、本当に1日1日みるみる成長していくのを、毎日驚きながら眺めている。 |
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蜘蛛の生態 |
開けていたトイレの窓の網戸に、7ミリ位の小さなクモがいた。よく見ると、同じ位の大きさのハエを捕まえ、じっとしている。クモはおおよそすべて、巣に引っかけて虫をとるものと思っていたが、そのクモは、糸でハエをぐるぐるにすることもなく、時々足をばたつかせているハエを抱えたまま、さささっと窓枠のくぼみに入り、ハエの胸部辺りから、体液を吸っているようだった。あんな小さな体で、生きたハエをつかんでいられるなんて、なかなかすごい力を持っているのだなあと感心し、しばらくその様子に見入ってしまった。2時間程してトイレに行ったら、まだそこに居た。6時間後、あ 居なくなったなと思いながら窓を閉めたら、あと3センチ程のところで窓が動かなくなり、ガタガタしてたらパタッと音がして、瞬時にしまった!と思ったら、案の定、大好きな家守が飛び出してきた。窓に挟んでしまったことをひたすら詫びながら、同時に思ったのは、もしやあのクモ(含むハエ)はこの方の胃に・・・ トイレという小さな空間で、色んなことが起こっているようです。 |
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