謎のドリンク

酒類を殆ど口にせず、お酒を飲む人の気持ちがわからんなりにも、今までお酒を飲むのは、主にその酩酊を楽しむためかと思っていた。しかし昨今のノンアルコールビールの台頭を見るに、あ そうでもないのかな と思えてきた。
アルコールが入っていないということは、酔いはしないということで、つまり味を楽しむというか、ビールの味を味わうということになり、酩酊は関係なくなるわけで、お酒を飲んではいけないのなら、お茶やジュースを飲めばいいところを、ノンアルコールビールを選択するということは、ビールの味が好きということなのか? と。ビールを飲む人においしいのかと訊くと、味どうこうよりこののどごしがよいのだと(言いながら、大抵 あーーー旨!!と言っているが)いう意見をよく聞くので、純粋にビールの味が好きでたまらんという人は少ないのかと思っていたのだけれど・・・それとも、そののどごしだけを味わいたいのだろうか。
または、ソフトドリンクでは本当にまるでしらふなのだけれど、ノンアルコールでもビールを飲んでいれば、呑みの場に居るという雰囲気に自分が(もしくは周りも)なれるのだろうか。
呑んでいる気に?酔っている気に?・・・酔ってないのに?

よく酒の席のことだなどと、酔っていることでその時あったことや言ったことなどを、後日あやふやに処理できる(他の人にもそうしてもらえる)システムがあるが、しかしノンアルコールの人は、ビールげたものを飲み、そんな気分になったところで、本物の酔っぱらいに比べ、その処理能力は明らかに低い気がするのだけれど、それはいい大人としてうまく対処するのだろうか。
常にウーロン茶を飲んでいても、酔っていると思われるわたしなどは、しらふで酒の席に居ること自体、別段苦にはならないにしても(居酒屋メニューが好きなもので)、酩酊している人の言動をまともに受け止め、この人は前後不覚なのだから気にしてはいけないと言い聞かせても、一喜一憂してしまうことがあるのだけれど、そういうことは起こらないのかしらんと思う。

 

 

ビールを飲むけど酔ってない。
それを選択する人は、どこに重きを置くのだろう と、謎が深まるノンアルコール。

1度口にしたこれで、酔ってしまった経験を持つわたくしは、0.0何%でも、アルコールが入っていると思っていたが、入っていないのだと聞いてから、あれはなんだったのだと思っていたところ、普段全く飲まない人がこれを飲んで、酔えたけえと言われていたのを耳にし、ゆめまぼろしではなかったのだ!となにやらほっとしたのであった。

・・・? ということは、アルコールは体内に入らないけれど酩酊はするということなのか?  ???

謎めいた飲み物であることよ。

 

脳の大半「食」だと思う。

以前独りごちた東京納豆パールが、いつものようにわたしの前から姿を消し(その日は愛用している某国産小麦粉も、同じく愛用の瓶に入ったマヨネーズも、陰ながら応援していた某マヨネーズもいなくなっていた)、一見無表情なその胸中は、豪雨と暴風にて地べたに叩きのめされた如く、もうこの店に来るなと言われたような気分で帰ったのだが、それから少しして、ふと納豆コーナーに一瞥をくれてみたところ、あれっ!?パールが生還している!!しかもまた新たな心躍らす納豆までもが加入している・・・!!折しもその新人が半額売り出しされていたので、すかさず家に連れて帰る。
発砲の容器に入っていない斬新なその姿、1つ80gのそのボリューム、そして思わず声を上げた、初遭遇の「タレ・からしは添付していません」!更に驚かされたのは、混ぜれば豆が隠れてしまうまでに白くなる程の粘りの強さ。国産大豆は言うに及ばず、豆の大きさも味もよろしく、またも素敵な納豆に出会ってしまった。
その名も『しもにた』。
東京パールもしもにたも高貴な方々なので、ちょくちょく我が家においでいただくことはできないが、納豆コーナーでご機嫌を伺う楽しみができた。

わたくしの心を打ち砕くのも高揚さすのも、日常の8割 食べ物です。

 


 

 

 

恒例行事

地元の秋祭りには、毎年祖父母仕込みの鯖寿司を作る。家庭によって味や中身が色々で、我が家の鯖寿司は、ごはんが多めの(多すぎるという説もある)やや甘め。
鯖が酸っぱいので、ごはんは甘めの方がよいように思うが、大抵の場合そんなに砂糖は効いていない。うちのは、甘党の祖母の好みと思う。
年に1〜2回しか作らないので上達はしないが、分量や手順など、忘れていなくて安堵する。
今年は4本だけだったので、楽なものでした。

 

身と胃に沁みる ステキスポット

先月に続き、初めての場所に赴いた。
生まれて初めて瀬戸大橋を渡り切り、生まれて初めて四国へ上陸、生まれて初めて讃岐で讃岐うどんを食べ、生まれて初めて金毘羅さんへお参りし、生まれて初めて高速船に乗り、生まれて初めて豊島へ行った。
なんとまあ、していないことが多いことかと我ながらちょっと驚くが、金毘羅さんに行けたことが、今回何より嬉しかった。とにかくえらい(=苦しい)と聞いていたので、相当覚悟して上ったのが功を奏したのか、心積もりしていたよりも楽に参ることができ、大きな木々や、馬に会えたりして、実り多き体験だった。とはいえ、やはり普段これだけの階段を昇り降りすることはないわけで、ふくらはぎがばつばつのがちがちになり、1週間程は下半身がロボのようになりながらも、意地になって無理矢理普通に動こうとする日々を送った。金毘羅さんの石段を上りながら、あれ 10月って神さまみんな出雲に行っとられるんじゃ・・・留守中にお邪魔して、ご利益はあるんだろうか などとよこしまなことを考えたのもよい思い出です(参った時点で願いは叶っていたのか)。
讃岐うどんは、あやまって2〜3本口に入れてしまうと、箸でたぐってもたぐっても麺の端が見えてこず、口に入り切らないこと請け合いな程、1本1本が長くて驚いた。また、大というのが1玉だと思っていたら、小が通常の1玉だったことにも驚いた。麺類はお腹の中で膨れるので、あれが適量なのかもしれない。1杯食べると汗が出る程温もり、うどんと共に幸せをかみしめた心持ちであった。
そして、帰りに瀬戸大橋から見た夕焼けと海は、えも言われぬ美しさだった。

1人では右往左往して(それすらしない可能性もある)終いになりそうなところを、同行させてくれた方に大変感謝しつつ、自分の机の電気スタンドに金毘羅さんのお守りをそっとぶらさげてみたのでした。

 

 

 

 

   
   

 


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